芦高生の自治会活動・部活動などを文字に載せて表現する場である「芦笛」、1948年(昭和23年)3月2日に旧制芦屋中学校校友会により創刊号を発刊、それから毎年歴代の自治会執行部によって受け継がれて2017年(平成29年)2月27日記念すべき第70号が発行されました。「芦笛」は創刊号から第70号に至るまでA5判で発行されています。(画面をクリックすると拡大されて文字が読めます。)
◎寄稿文 第68代自治会長 栗木侑香
◎編集後記と裏表紙(正門横の藤棚)
【付記】「芦笛」創刊号について
あしかび会館に保管されている1948年3月発行の「芦笛」創刊号の表紙、
・目次と旧制芦屋中学の校歌、
・第2代校長 阪部由松先生の「我々の課題」と「芦笛の辞」、
・硬式野球部初代主将 橋本修三さん(芦中3期生)の「芦笛発刊に寄す」、
・山内敬三さん(芦中4期生 ラグビー部OB)の「過去五年間を顧て」
そして編集後記を紹介します。
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阪部校長先生は「芦笛」の発刊に期待を込めて「芦笛の辞」を記され『人の世の濁りに染まず高らかに 清き調べを吹けよ芦笛』と詠まれました。
橋本さんと山内さんは、太平洋戦争の戦時下に旧制芦屋中学に入学、戦後に卒業されました。その間、昭和20年6月の空襲で打出浜の校舎は全焼、校舎を失った芦中生は宮川、本山第一・第二小学校など間借りの仮校舎を転々とする厳しい学校生活を過ごしました。
橋本さんは敗戦後の虚脱状態のなか、仲間と共に芦屋中学に野球部をつくり連日の猛練習が実って兵庫県代表として夏の全国大会に初出場した経験から、後輩に校友会活動(部活動)のススメを語られています。
また、山内さんは戦中戦後の5年間を振り返り、苦難の多い厳しい学校生活の経験を土台に、芦高の新たな発展を期待され「我々や我々の先輩の苦難と忍耐に依って築かれた土台は、必ずや強く立派に未来を支えるであろう。Ashiya High Schoolに栄光あれ!!」と述べられています。
◎創刊号の編集後記は、編集部の中心となった都筑兼伍さん(芦中3期生)と大垣軌雄さん(芦中4期生)そして芦屋中学の杢谷舜造先生が記されました。その中で、「芦笛」の誌名は古林久和さん(芦中3期生)の創案によると、表紙の写真は堀口幸昭さん(芦中4期生・写真部OB)の作品であると紹介されています。
「芦笛」発刊の翌月1948年(昭和23年)4月に、学制改革により旧制兵庫県立芦屋中学校(男子校)は男女共学の新制兵庫県立芦屋高等学校になりました。