9月13日夜放送の人気番組・探検バクモンでは、78万冊の蔵書を誇る雑誌専門の図書館「大宅壮一文庫」を大宅映子氏の案内で、司会の爆笑問題(太田光・田中裕二)とゲストの田原総一朗氏やデヴィ夫人が訪ねました。
番組の中で「大宅壮一文庫」の資料検索を活用して歴史的スクープ記事が書かれたことが紹介されました。時の田中角栄首相の金脈を暴く『田中角栄研究』を評論家・立花隆氏が執筆、また田中首相の人脈を暴く『淋しき越山会の女王』をルポライター・児玉隆也氏が執筆、どちらも雑誌「文藝春秋」(1974年11月号)に掲載されて大反響を呼び、これが田中内閣の退陣につながったと言われています。
【文藝春秋 目次】
故児玉隆也氏(芦高11期生・第7代自治会会長)は早稲田大学卒業後、光文社に入社し週刊誌「女性自身」の編集を担当、1972年同社を退職後ジャーナリストとして活躍。『淋しき越山会の女王』のほか『この三十年の日本人』『一銭五厘たちの横丁』などを発表、1975年肺がんで入院し闘病記『がん病棟の九十九日』を「文藝春秋」(1975年6月号)に寄稿、38歳で早世されました。
次に、「芦高十五年史」(1955年発行)に児玉さんが芦高自治会長として寄稿された『創立十五周年を迎えて』を掲載します。
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【1955年頃の芦屋高校全景】(「芦笛」第9号に掲載の航空写真)
児玉さんが芦高自治会長をされていた1955年(昭和30年)頃の芦屋高校の全景。
中館と南館は木造校舎で、学校の南側は、国道43号線の予定地。体育館・プールはなく、現在のテニスコートはまだ農地でした。写真の上部に阪神電車の線路が見える。
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【芦高自治会長の頃の児玉隆也さん】(「芦笛」9号に掲載の写真)
◎『ひょうたん 執行委員会での一年』(芦笛9号に掲載された児玉さんの寄稿)
児玉さんは、昭和29年(1954)9月から昭和30年(1955)11月までの間の芦高の学生生活を芦高自治会活動を中心にまとめられ、「芦笛」9号(昭和31年2月発行)に寄稿されました。(画面をクリックすると拡大されて文字が読めます。)
(13頁)
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(16~17頁)
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(22~23頁)
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(28~29頁)
(30~31頁)
◎『秋刀魚の煙』(芦高新聞77号(1958年9月24日発行)「先輩通信」に掲載された早大時代の児玉さんの寄稿)(紙面をクリックすると拡大されて記事が読めます。)