◎サンテレビで2018年8月6日午後4時から放送された番組では、1950年(昭和25年)夏の甲子園・第32回大会で2代目プラカードガールになった浅谷為久子さんが当時を振り返り、1949年に芦高から転勤してきた岸仁先生の思い出やプラカードガールのことを語られました。
岸仁(まさし)先生は旧制芦屋中学・芦屋高校の野球部長、1946年8月戦後初の全国大会に出場、1949年春のセンバツ決勝戦で大阪府立北野高校に惜敗、準優勝となるなど輝かしい成果を上げ、その年の4月に西宮市立建石高校(現 市立西宮高校)に転勤、そして夏の甲子園高校野球開会式で女子生徒に代表校のプラカードを持たせて球児を先導するアイデアを提案されました。(写真をクリックすると拡大されます。)
「『翠球』兵庫県立芦屋高等学校野球部五十年史」65ページに掲載の写真
1948年の学制改革によりそれまでの旧制中学・高等女学校は廃止され、男女共学の新制高校が発足したばかりで、岸先生のアイデアは男女共学の新時代を象徴する提案として採用されました。
かくして1949年夏の甲子園:第31回全国大会から市立西宮高校の女生徒が代表校のプラカードを持って球児を先導することになり、男子一色だった甲子園に華やかさが添えられることになりました。
(第32回大会で福井県立若狭高校のプラカードを持つ浅谷さん)
現在のような学校でのリハーサルはなく、いきなり甲子園球場での本番に出た。
☆プラカードガール豆知識2:帽子と胸元のバラがトレードマークその頃、制服はなく当日配られた帽子と胸元のバラをつけて晴れの舞台に臨んだ。
☆プラカードガール豆知識3:誕生は1949年第31回大会から右から2番目が兵庫県代表の芦屋高校
◎現在の市立西宮高校では、200人以上もの応募者の中から選考テストで選ばれた女子生徒が、事前に校内でリハーサルを行い甲子園の本番に臨んでいます。生徒たちは「100回大会という記念の年にプラカードを持たせていただけたことを誇りに思います。」「プラカードガールをされてきた先輩方の思いを継いで、自分の係に誇りをもって歩きたいと思います。」などと語っています。
◎100回大会開会式のスタンドで浅谷さんは、代表校のプラカードを持って先導する後輩たちを見守りながら「高校野球大会が100回続くということはすごいこと、私たちのプラカードも70年近く続いていて誇らしい気持ちですね。」と話されています。
☆プラカードガール豆知識4:プラカードガール経験者ばかりのOG会がある
2008年8月2日、市立西宮高校プラカードガールOG会(会長:浅谷為久子さん)の総会が甲子園球場の近くのホテルで開催され、94歳になられた岸先生も出席されました。100回大会の今年8月5日にもプラカードガールOG会が盛大に開催されました。
◎岸仁先生は平成25年9月に享年百歳でお亡くなりになりました。
心からご冥福をお祈りいたします。(あしかび会事務局)
◎2017年8月にあしかび会ホームページに掲載した「夏の甲子園高校野球入場式のプラカードガールの企画はあしかび会特別会員の岸仁先生が発案!」は、次のURLをクリックするとご覧になれます。
http://ashikabi.org/wordpress/?p=6836