木寺俊博 様
寒い長い冬が終わり、待望の春が来ましたが、原木君より貴兄の訃報に接し、ただただ驚き、惜別の念に堪えません。 激務が終わり、漸くこれから奥様とゆっくり人生を楽しまれる時が来たのにと思うと、この追悼の文を作成しつつも目に涙が一杯に成って来ます。
4月30日(水)に県立芦屋高校元3年J組の同級生が9人(親友の安武君や他三・四人は古希の体調不良や仕事で当日欠席に成りました)大阪堂島の電気倶楽部に夕刻集い、貴兄を偲ぶ会を持ち、全員で黙とうを捧げました。 誰かが高校や同窓会の写真を用意し、姿勢の良い背の高い在りし日の貴兄に思いを馳せました。 ささやかですが、供花をお送りしますので祭壇のそばに有志の写真と共に置いて頂ければ幸甚です。
昭和平成の企業戦士としてタイガー魔法瓶工業の海外展開のトップとして台湾の工場進出、香港事務所立ち上げ、上海の工場やフィリピンやベトナム等にも足跡を残されました。 私が台湾のコンテナ船主の仕事をしていましたので、沢山のタイガー製品を積み頂き助けて貰いました。 タイガー魔法瓶工業は確か大正生まれの伝統ある企業さんでしたが、財閥系ではなかったので大変なご苦労を海外でされたと推察していました。 多くの海外出張や赴任で奥様もご苦労されたでしょうが、奥様の素晴らしいバックアップが有ってこそ貴兄が海外展開の業績を残されたと思います。
淀屋橋等でお会いした時貴兄は私達には悪戦苦闘の話は一切しませんでした、フィリッピンのイメルダマルコスの謁見の時野球のホームベースのように大きな顔をしていた、靴を何千足も持っているそうだと明るく楽しそうに語ってくれました。 全盛期のマルコス政権への世界からの企業詣は正に長蛇の列、で数分で終わったと貴兄は豪快に笑っておられました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。 合掌
平成26年5月4日
県芦3J有志
写真:前列左から、岡(坂本)昌子、岡本(徳永)孝子、亀井久美子、額田(高橋)美記子、後列左から、三村昌恒、十河良二郎、内海克彦、菅原章太郎 森健彦 (敬称略)