3期生 清水孝一さんと名作『火垂るの墓』の舞台が新聞に(2017年6月)

旧制芦屋中学3期生の清水孝一さん(あしかび会理事)は、昭和20年(1945年)学徒勤労動員で西宮の阪急苦楽園口駅から尼崎・塚口にある日本パイプの工場に通われていました。その道すがら自宅付近のニテコ池の畔で中学生の野坂昭如少年を見かけたり話をされています。野坂少年は、昭和20年6月5日の神戸大空襲で被災し、幼い義妹を連れて西宮の親類宅に身を寄せ、昼間はニテコ池周辺で過ごしていたようです。

昭和42年(1967年)、作家野坂昭如氏は神戸で自ら体験した6月5日の空襲を題材にして小説「火垂るの墓」を発表、第58回直木賞を受賞されました。

このことが、神戸大空襲から72年後に朝日小学生新聞(2017年6月5日付)と朝日中高生新聞(2017年6月4日付)に掲載されました。昨年12月2日付の朝日新聞にも詳しく報道されました。朝日中高生新聞と小学生新聞には、ニテコ池を訪れた清水さんらの写真が掲載されています。(画面をクリックすると拡大されて記事が読めます。)

◎また、清水さんはこの時のことを2014年に尼崎市立地域研究史料館の学徒勤労動員に関する聞取り調査のなかで「野坂昭如氏との邂逅」と題して報告されています。

野坂昭如氏との邂逅 左をクリックすると清水さんの報告書がご覧になれます。

【小説「火垂るの墓」誕生の地 記念碑】

(*NHKニュースより)

戦後75年の2020年6月、ニテコ池からも近い西宮市奥畑の西宮市震災記念碑公園に小説「火垂るの墓」誕生の地記念碑が完成しました。

(*神戸新聞NEXTより 紙面をクリックすると拡大されて記事が読めます。)

◎昭和20年(1945年)の神戸市や阪神間の空襲については、神戸市文書館のホームページに米軍資料にみる神戸大空襲の詳しい資料が掲載されています。

神戸大空襲の資料 左をクリックすると神戸大空襲の資料がご覧になれます。

◎神戸大空襲があった昭和20年6月5日早朝、旧制芦屋中学の打出校舎(現在の精道中学校の場所にあった。)も米軍B29爆撃機の空襲をうけ全焼、2名が不発弾の破裂により重傷を負いました。6月の空襲のあと仮移転先の芦屋市宮川国民学校が8月5日から6日未明にかけての空襲で一部焼失したため、終戦後もさらに本山第一、第二国民学校、芦屋青年学校等に仮校舎を移転する苦難の時期が続く中、昭和21年7月に現在の校歌が制定されました。

 

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