「芦屋の奇跡」野球部全国大会初出場と記念ボール(昭和21年8月)

太平洋戦争終戦から1年後の1946年(昭和21年)8月15日、甲子園球場が進駐軍に接収されていたため、阪急西宮球場(現在の阪急西宮ガーデンズの場所にあった。)で開催された戦後初の第28回全国中等学校優勝野球大会の出場校(19校)の主将にGHQ(連合国軍総司令部)のポール・ラッシュ中佐から記念のボールが贈られた。初出場の兵庫県代表芦屋中学の橋本修三主将に贈られたボールが、このほど朝日新聞(2015年7月29日付夕刊・東京本社発行)に掲載された次の写真のボールです。

朝日記事・7月29日付夕刊

芦中野球部の選手10名のサイン入りで、サインは右から浅沼和壽(3期)、有本義明(5期)、橋本修三(3期・主将)、岡本好司(3期)、森越廸夫(3期)、左上に田中徹雄(5期)の各氏です。 さらにボールの他の面には、太田 貢(3期)、岸本一司(3期)、進藤 一(3期)、伊沢逸馬(4期)各氏のサインがあります。
このボールは、故橋本修三主将の奥様から山梨県北杜市の清里高原にあるポール・ラッシュ記念館に寄贈されました。

朝日新聞:芦高野球部の記事 左をクリックすると7月29日付夕刊の記事が読めます。

【写真提供:ポール・ラッシュ記念館】

ポール・ラッシュ記念館:〒407-0301 山梨県北杜市高根町清里3545
電話:0551-48-5330(八ヶ岳山麓の清里高原・清泉寮キャンプ場内にある)
交通:JR小海線 清里駅から車、タクシーで約5分

ポール・ラッシュ記念館ホームページ:https://www.seisenryo.jp/spot_paulrusch1.html

また、1946年(昭和21年)8月16日付朝日新聞には、開会式で記念のボールを球児に贈るラッシュ中佐の写真が掲載されています。さらに、芦屋中学と城東中学(現高知県立高知追手前高校)の試合の様子が飛田穂洲記者の解説とともに掲載されています。
野球の記事の左には、GHQが発表した満州など外地からの引揚者数の記事が掲載されています。(画面をクリックすると拡大されて記事が読めます。)

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橋本修三主将は「芦笛」創刊号(1948年3月発刊)に寄稿された「芦笛発刊に寄す」の中で、夏の全国大会初出場とポール・ラッシュ中佐から記念ボールを贈られた感激を
次のように記されています。

【芦高野球部発足当時の様子】
太平洋戦争終戦から2ヶ月後の昭和20年秋、橋本修三さん(当時旧制芦屋中学4年生)はじめ野球好きの生徒たちが集まり野球部が発足した。その頃の様子は、2014年の同窓会誌あしかび82号に有本義明さん(5期生・慶應義塾大学野球部元主将)が寄稿されていますが、さらに「翠球」(兵庫県立芦屋高等学校野球部五十年史)に初代野球部長の故岸 仁先生が「野球部誕生前後」と題して、次のように記されています。
(画面をクリックすると拡大されて文字が読めます。)

また、橋本修三主将が「翠球」(芦高野球部十年)に寄稿された「回顧十年」(野球部五十年史に再録されたもの)には、野球部発足後1年もたたないうちに奇跡的に全国大会に出場を果たした様子が詳しく感動的に描かれています。あわせてご覧ください。

「回顧十年」  左をクリックすると「回顧十年」が読めます。

「回顧十年」には旧制芦屋中学の校歌の一節が散りばめられています。太平洋戦争終戦から丁度1年後の昭和21年8月15日、戦後初の全国大会に兵庫県代表として初出場。そのひと月前の7月15日に、仮校舎として間借りしていた本山第二小学校講堂で、校内投票により選ばれた芦屋中学の校歌が制定されました。そして7月24日から始まった夏の大会の兵庫県予選で勝ち進むたびに、出来たばかりの校歌を全員で力強く歌った感激が伝わってきます。

◎2018年8月1日にNHK総合テレビで放送された歴史秘話ヒストリア『8月15日のプレーボール 高校野球 戦火の中の青春』に芦高野球部創部の頃の写真が登場しました。あしかび会ホームページにこの番組のあらましを掲載しています。
次のURLをクリックするとご覧になれます。

http://ashikabi.org/wordpress/?p=8869

◎当時の活躍を伝える写真(「翠球」兵庫県立芦屋高等学校野球部五十年史より抜粋)
(画面をクリックすると拡大されて文字が読めます。)

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