なつかしい昭和50年代の芦高新聞が読めるようになりました  (その1:昭和56~59年)

芦屋高校創立80周年にちなみ、あしかび会館に保管されている芦高新聞、芦中新聞の紙面を平成2年から昭和22年に遡って順次公開しています。

今回は、昭和50年代後半56年から59年までの芦高新聞(第204号~第220号)の紙面を公開します。 芦高新聞○○号のアンダーラインを付した部分をクリックするとご覧になれます。

卒業生の皆さまの高校時代を思い出すよすがとなれば幸いです。(あしかび会事務局)

◎昭和59年(第217号は保管されていません。)

芦高新聞220号(1984.10.22)(記念祭特集:さらに独創性を! 部説「記念祭のパターン化について」)

芦高新聞219号(1984.9.22) (夏休み特集:手を差し延べよう 意識調査:ボランティア 文化部紹介)

芦高新聞218号(1984.6.22) (定期戦特集 DARK HORSE:響け応援歌”応援団”とは )

【芦高小史 : 昭和58~59年】
(「芦高五十年史」より・・画面をクリックすると拡大されます。)

◎昭和58年(第214号は保管されていません。)                      

芦高新聞216号(1983.11.16) (記念祭特集:より力の結集を!部説「変わり行く主旨」)

*「芦笛37号」(昭和59年2月発行)より

芦高新聞215号(1983.9.26)(薄れゆく自由への意識 高校生から見る相違点:津名高/鈴蘭台高  淡路島ミニ旅行)

芦高新聞213号(1983.6.11)(保存版 変わりゆく芦高 芦高について語る建先生 新任・離任 大学入学状況)

◎昭和57年(第208・207号は保管されていません。)

芦高新聞212号(1982.12.4)(記念祭特集 熱演・川村ひさし氏 部説:本来の目的は?)

*「芦笛36号」(昭和58年2月発行)より

芦高新聞211号(1982.9.27)(同世代は今:手話サークル・芦屋村 和歌山のアメリカ村取材 自由の危機:昔と現在の芦高 出版部座談会)

芦高新聞210号(1982.7.6)(定期戦特集)

芦高新聞209号(1982.6.23)(ガリ版:総務課(建・吉田先生)に問う! 部説「公聴会を振り返って」)

芦高新聞206号(1982.6.11)(保存版 佐藤忠良氏は語る 浅場七郎校長:芦高に着任して 新任・離任 大学入学状況)

佐藤忠良氏の彫像『レイ』・・「芦高五十年史」より】

(写真をクリックすると拡大されて説明文が読めます。)

*佐藤忠良氏の彫像『レイ』の新本館ロビー設置に尽力された中川義昭先生(故人)は旧制芦屋中学3期生で、昭和44年(1969)から平成元年(1989)3月まで20年間、国語の先生として母校の教壇に立ち後輩の育成にあたられました。

【芦高小史 : 昭和56~57年】
(「芦高五十年史」より・・画面をクリックすると拡大されます。)

◎昭和56年(第203・202・201号は保管されていません。)

芦高新聞205号(1981.12.10)(記念祭 パターン化脱出! 講演会:尾川正二氏・副島まち氏 復活デコレーション体育祭)

*「芦笛35号」(昭和57年2月発行)より

芦高新聞204号(1981.7.6)(定期戦特集:14年目の敗北)

 

*昭和54~55年の芦高新聞は、次のURLをクリックするとご覧になれます。

http://ashikabi.org/wordpress/?p=12109

 

 

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